浄土和讃 · 27日 10月 2021
大経讃 二首
如来の光瑞希有にして 阿難はなはだこころよく 如是之義ととへりしに 出世の本意あらはせり  浄土真宗では、お釈迦様がこの世にお生まれになった理由(出世の本懐)は、ひとえに「大無量寿経」をお説きになるためであった、と味わいます。では親鸞聖人は、どのような理由で、「大経」を出世の本懐の経とみられたのでしょうか。この和讃では、阿難の問いを、「如是之義」と問う、つまり、その通りで間違いない、急所を得た問いであり、問いの中に智慧のはたらきが現れていることをお褒めになられました。
浄土和讃 · 24日 10月 2021
大経讃 一首
尊者阿難座よりたち 世尊の威光を噡仰し 生希有心とおどろかし 未曾見とぞあやしみし  親鸞聖人が「それ真実の教を顕さば則ち大無量寿経これなり」と示された教説。その説法がなされる時、弟子の阿難尊者が座より立ち、お釈迦様の普段とは異なる厳かで光り輝く尊いお姿を見て、何と不思議なことかと驚かれ、今までこんなお姿は拝見したことはない、きっと特別に大切な説法をなさるのではないかと感じとられ、そのことをお釈迦様に尋ねられました。その質問をきっかけに阿弥陀如来の本願の教えが説かれていくことになったのです。阿難尊者は、お弟子の中でも特にお聴聞第一の人であったといわれますが、お釈迦様55歳の頃より入滅されるまでの25年間随行として仕えられます。そしてお釈迦様入滅後の仏典編纂会議では、その中心であったともいわれます。しかし、この会議に選ばれた仏弟子の中で、ただ一人だけ悟りを開くことが出来ずにおられたとも伝えられています。そのことが何を意味をしているのか。阿難尊者はいずれの行にても煩悩を断つことのできない私たち凡夫を代表して、釈尊から弥陀の救いの説法を引き出しお聴聞してくださったのではないでしょうか。